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戦国時代の3人の名将を紹介。生きざま、考え方を取り込み人生で役に立てる

わたしが愛する3人の武将たち

こんにちは、ねねこです。

少し前に戦国武将の名言を記事にしてみました。

 

 

反響が良かったので、今回も戦国武将を紹介します。

戦上手、剣の使い手、槍の名手、火縄銃の名人、城攻めが得意な者、兵糧攻めが得意な者、いろいろな強い個性をもった武将たちがいます。

その中でも「わたしが愛する3人の名将をテーマにしていきます。

強い個性をもった武将3人の生き様をとくとご覧あれ!




第六天魔王 織田信長

織田信長引用元 Wikipediaより

 

誰でもご存じ、織田信長公です。

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。三英傑の一人。

尾張国(現在の愛知県)の古渡城主・織田信秀の嫡男。

尾張守護代の織田氏の中でも庶流・弾正忠家の生まれであったが、父の代から主家の清洲織田氏(織田大和守家)や尾張守護の斯波氏(斯波武衛家)をも凌ぐ力をつけた。

家督争いの混乱を収めて尾張を統一し、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取り、領土の拡大に邁進した。足利義昭を奉じて上洛すると、将軍、次いでは天皇の権威を利用して天下に号令した。

後には義昭を追放して、畿内を中心に強力な中央集権的政権(「織田政権」)を確立して天下人となった。これによって他の有力な大名を抑え、戦国乱世の終焉に道筋をつけた。

しかし天正10年6月2日(1582年6月21日)、重臣・明智光秀に謀反を起こされ、本能寺で自害した。すでに家督を譲っていた嫡男・織田信忠も同日に二条城で自刃する

Wikipedia

 

戦国時代の風雲児です。戦上手というよりは、戦略家。

画期的な手法を使って各大名を次々と撃破しています。

有名な合戦は長篠の戦いです。

迫りくる武田軍に3000丁の火縄銃を使い入れ替わり、立ち代わりで休むことなく連射。無敵の武田軍を撃破しています。

(新説では1000丁ほどといわれています)

信長はどの大名よりいち早く火縄銃に目をつけました。

「これが、あったら戦が変わる!」と金を惜しむことなく、大量の火縄銃を購入しています。

政治の面ではどうでしょうか?

戦国時代には道に「いくつもの関所」を設けていました。(敵大名のスパイを捕まえるため、関所で通行料をとるため)

織田信長は、これを撤廃。誰でも簡単に通れるようにしました。喜んだのは商人でした。

そのため、商人たちは通行料を取られないため嫌でも集まってくるのです。

信長のおひざ元で商売を始めた商人から、少しずつ金を徴収したのです。

これが積もりに積もって「信長の大軍の動力」になりました。

織田信長を好きな理由

古い家臣や物、体制にとらわれない。古いものに改革の切込みを入れていく。

常に一歩、二歩と先を見て改革を行う。

古いものにこだわっていると、新しいものは何も作れない。行動できないことは誰にでも当てはまること。

「今まで、こうやってきた」「昔から、こうだった」口癖になってませんか?

それが当たり前になると、人として前に進みません。

挑戦を怖がっている人、昔からぬるま湯に浸かっている人、行動を起こしましょう。

 

残念ながら、本能寺の変では明智光秀に討たれてしまいます。生きているなら確実に天下をとったことでしょう。




雷神の化身 立花道雪

立花道雪公引用元 Wikipediaより

 

2人目は立花道雪公です。九州北部を拠点にして、九州各地を転戦しました。

立花 道雪 / 戸次 鑑連(たちばな どうせつ/べっき あきつら)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。豊後の戦国大名・大友氏の家臣。臼杵鑑速や吉弘鑑理らと共に大友家の三宿老に数えられた。

大友義鑑・大友義鎮の2代に仕えた大友家の宿将で、北九州各地を転戦し、その勇猛は諸国に知られて恐れられた。本人は立花姓を名乗っておらず、戸次鑑連または戸次道雪で通している

Wikipedia

 

道雪は若いころに雷に打たれて「下半身不随」になっています。

打たれたときにとっさに、愛刀「千鳥」で雷を切ったといわれ、下半身不随だけで命をとりとめたといわれています。

それ以降、愛刀は「雷切」と名前が代わり、道雪は生涯大事にしていました。

これが雷の化身といわれた立花道雪の由来です。

武勇は遠く、今の長野県や群馬県などを収めていた「武田信玄」の耳にも入るほどでした。

あの、武田信玄が「お前の強さは、聞いたことがある。会って話がしてみたい」といったほどです。

下半身不随のため、戦には籠に乗って出陣。道雪の采配は目覚ましいものがあり、敵が恐れるほど。

家臣には「命が欲しかったら、敵のまっただなかに担ぎ込んで逃げよ」と叱咤激励を飛ばしました。

酒の席でも、家臣が粗相をすると「わたしの家臣が失礼をした。

この家臣は戦場では何人分もの働きをする。槍の扱いは天下一だろう」と逆に褒めたたえています。

立花道雪が好きな理由

家臣はどんな身分の低いに者でも大事にする。いくら立場があっても下の者の気持ち、考えを尊重する。

現代の組織、会社でも特に気を使うことではないでしょうか?

自分の部下、地位の低い人にも丁寧な対応は出来ていますか?

人を大事にして、その人からも大事にしてもらう。give&takeです。

「何かしてくれ」ばかりでは良い関係は持てませんよ。

 

わたしが戦国武将で好きな人、ナンバーワンが立花道雪です。




天下の梟雄 松永久秀

松永久秀引用元 Wikipediaより

 

3人目は松永久秀公です。

戦国三大梟雄ともいわれ「斎藤道三,宇喜多直家,松永久秀」といわれています。

 

松永 久秀(まつなが ひさひで)は、戦国時代の武将。大和国の戦国大名。官位を合わせた松永 弾正(まつなが だんじょう)の名で知られる。弟に長頼、嫡男に久通、養子に永種(貞徳の父)。

Wikipedia

 

梟雄(きょうゆう)とは「悪行・悪名」高い(謀略・陰険・悪ってことです)ことになります。

松永久秀の悪ぶりは、天下に驚愕が走ったほどといわれています。

 

  1. 旧主家、三好氏への暗殺と謀略。(自分の仕えていた御家)
  2. 将軍暗殺。(第13代、足利義輝)
  3. 東大寺大仏の焼討。

 

あの織田信長は客人に久秀を「こいつは、本当に悪いやつなんだ」と紹介したほど。

久秀の悪ぶりは、誰も真似が出来ることではなかったのです。

こんな久秀が愛していたものが名器「古天明平蜘蛛」(こてんみょうひらぐも)でした。

このころの武将たちは「茶器」を持つことが、ステータスになっていました。

この、古天明平蜘蛛は誰もが欲しがるものだったのです。それぐらい貴重で価値があったものでした。

 

引用元 Wikipediaより 写真はイメージです

 

織田信長も喉から手が出るほど、これを欲しがっていました。

織田信長にも仕えていた時期がありましたが、2度も裏切っています。

2度目の裏切りのときには「古天明平蜘蛛をくれたら、許してやる」といったほど。

しかし、久秀は「人に渡すぐらいなら…」と火薬を詰めて、こもった城で爆死をしています。

この爆死は日本で初めてだといわれています。

松永久秀を好きな理由

大事、好きなものは、人に渡すことが出来ないほど。

あなたには大事なもの、好きなものはありますか?

一生懸命になれるものはありますか?見つからない人はいませんか?

あなたの大事なこと、好きなことは人にどういわれても貫いてみるのもいいですね。

好きなことは、とことんやってみよう。

 

ちなみに松永久秀は「クリスマスを理由に戦うのを止めよう」と停戦を求めたり「自分で作ったエッチな本(子作り)」持っていたりとお茶目な一面もありました。

 

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まとめ

どうだったでしょうか?

数多く戦国武将がいる中で、わたしがとても好きな3人を取り上げました。

どの人物も他にはない個性の面々です。

武将たちの行動、名言は現代人が取り入れなくてはならないものです。あなたも戦国武将を好きになってみませんか?

きっと、人生に影響してしまうようなものが得られるかもしれませんよ?

 







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